内海桂子の今現在!息子や弟子が気になる!娘にもフォーカス!

こんにちは!

のりたまです!

今回は内海桂子(うつみけいこ)さんについてお話していこうと思います。

内海桂子さんは若い頃に音曲漫才というやり方で成功され、今では漫才協会の名誉会長とまでなっております。

漫才界の大御所ですね。

今現在の年齢は92歳(2017年3月現在)。

すごい長生きされているんです。

戦前のテレビのない時代から生きてこられているので日本の漫才の文化を一から築き上げてきた一人といえます。

また、内海桂子さんといえば成田さんとの関係も気になりますね。

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ちょっと余談なんですが内海桂子のことについて調べてみると同じ名前で漢字が違う方が何人かいまして、最初はオルガンの内海恵子さんのことを調べていました。(笑)

全然違う人だということに途中で気が付いてあわててオルガンじゃなくて漫才の方の調査に取り掛かりました。

トラブルがありましたが、今回注目していこうとしているのは内海桂子さんの若い頃今現在娘や息子や夫などの家族についてと弟子についてご紹介していこうと思います。

若い頃といったら私たちの生まれる何十年前の話ですからね。

今の文化とは全然違うだろうし、今現在の漫才の形とも違ったに違いありませんよね!

しかも内海さんの漫才人生を追うことで今現在の日本の漫才を築き上げていった過程もわかるので一石二鳥ですね。

では気になる点をどうぞ!

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若い頃と今現在について

まずは若い頃についてです。

若い頃は音曲漫才コンビを組んで活動されていました。

音曲漫才とは、俗曲漫才、語りもの漫才、歌謡漫才、曲弾き漫才という漫才の形式が含まれており、内海さんはこのうちの俗曲漫才で成功された方でした。

俗曲漫才は民謡、俗謡などを主に用いて行う漫才です。

といっても言葉だけでじゃわかりにくいですよね。

私も正直なんのことだかよくわかりませんでした。

なのでどういう漫才なのか気になった方はインターネットで調べられるとその類の漫才が見られますので実際に見てみることをお勧めしますよ!

横浜放送映画専門学院の講師の経験もされた過去があります。

漫才を始めたきっかけは昔、三味線や日本舞踊を学んでいたところで舞台に出ないかとの声がかかり始めてきたのだそうです。

そのころ、高砂家と志松・雀屋〆子の〆子が産休に入ってしまい、志松が相方を失ってしまいます。

そこで代役として選ばれたのが内海さん。

初めての講演は浅草橘館で行われたのだそうです。

その後、志松産との間に子どもができてコンビはなくなりました。

林家染芳ともコンビを組み、子供ができましたが、別離してしまいました。

その後弟子を授かります。

弟子の詳しいお話については後ほどいたします。

今現在はあした順子・ひろしの順子のあした順子さんとコンビを組んで活動をしています。

コンビ名はなんと、AKB48(笑)

アイドルグループのAKB48ではないですよ!

名前かぶってるけど大丈夫なのかなとも思いましたが、これにはちゃんと意味があったんです!

Aはあした順子、Kは内海桂子(けいこ)、Bはババア、48はシワだらけ、という意味なんです!

めちゃくちゃ面白くて笑ってしまいました。(笑)

やっぱりコンビ名で笑いをとれるところを考えるとベテランなんだなと感じさせられましたね。

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弟子について

初の弟子は内海好江さん。

当時14歳でした。

弟子になったきっかけは林家染団治の紹介。

林家さんは先ほども話したように元々内海さんとコンビを組んでいたので、コンビが解散しているところを救済しようとしたのか夫婦漫才をしていた荒川小芳・林家染寿の娘を弟子に取らせ、内海さんとコンビ漫才をするようになりました。

また驚くことに、直弟子に笑組、ナイツなどがおり、ウッチャンナンチャンも実際には弟子扱いということになっているんです!

私たちがよくテレビで見る芸能人の方々が弟子だということに驚きましたね。

ウッチャンナンチャンと内海さんの間にはっちょっとしたエピソードがあります。

ウッチャンナンチャンに関しては元々俳優を目指していたということは知っている人には知っていることかもしれませんね。

今では司会なんかもこなしていますが元々俳優を目指していた人達だったんです。

実はウッチャンナンチャンに俳優を目指すよりも芸人になることを薦めたのはなんと、内海さんだったんです。

それでここまで売れるようになったというのですから内海さんの目は間違っていなかったということになります。

ウッチャンナンチャンとの出会いは、横浜放送映画専門学院でのことでした。

この頃に講師をもししていなかったらウッチャンナンチャンの今はなかったのかもしれませんね。

いい機会に恵まれてほんとによかったと思います。

息子や娘と家族について!

内海さんの子供は息子さんと娘さん。

どちらも違う男子の子供さんです。

1941年に志松と事実婚をしていましたが、このときに長男が生まれます。

そして林家染芳という今の名前は林正二郎という方との間に娘さんが生まれます。

長男とは相続の問題で争っていました。

それは成田常也さんとの交際がきっかけでした。

成田さんは息子さんにとっては実際のお父さんでもありません。

しかし息子さんとの年の差は5歳差。

息子さんのほうが年上なんです。

母はやはりこれだけ売れているので財産がすごいあったんです。

その財産を巡って争いが生まれたのだそうです。

結婚してしまえば内海さんの財産は成田さんのものとなりますよね?

しかし、結婚しなければ息子さんの財産となるわけです。

そこが一番の問題だったんじゃないかなって思います。

そこで内海さんは別居するという選択肢まで取るようになりました。

しかし、残念ながら内海さんの息子さんはガンになってしまいます。

その時に成田さんに母のことを頼みますといい旅立たれたということです。

最後には息子の理解を得られてよかったなと思いました。

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